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☆2011年03月18日、【滞在保養支援:第1次】開始。
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2011年03月28日
●ホームステイの意味と、被災者さんと避難者さんの姿
●ホームステイの意味と、被災者さんと避難者さんの姿
86年のチェルノブイリ原発事故の際、ウクライナの歌姫ナターシャ・グジーさんは6才で避難生活を体験されました。
ナターシャ・グジーさんから、福島第一原発の事故についてメッセージとお願いがYoutubeにアップされていたので転載します。
※きくちゆみさんのツイッターで知りました
https://twitter.com/kikuchiyumi
偶然にも、ホームステイの必要性を唱えてくれています。
被災者さんには、しばらくはゆっくりとや休養して、「ご自身にかわって食事を作ってくれる」温かいお世話をしてくれるホームステイが重要であろうと感じています。
その先、しばし時がたち、心の落ち着きを取り戻しはじめたら、「ご自身で食事を作るなど」の手を動かすことが進む力になると感じます。
その意味では、下記の(1)に相当する方が、一番ホームステイにマッチされると分かってきました。
====
(1)津波で家もお金もなく避難所生活の被災者さん
(2)被災地域だけど家とお金は何とか残った被災者さん
(3)被災地ではないが安全の為に、一旦住居を離れるファミリーの避難者さん
(4)被災地ではないが放射能が怖くて、もう住居に戻れない大人単独の避難者さん
====
(4)に相当する方からの電話もあるのですが、我々が願った「子ども」ではないのと、まだ我々に受けきれる力がなく、一旦受けてしまうと我々がパンクするのは目にみえているので、仕方なく情報提供にとどまっています。
ですので、大人単独でもぬくもりが寄せ合えるコミュニティ(共同生活村)につなぎたいと願い、探しています。
(2)と(3)に相当する方は、お金があるなら、人のお世話になるのは「申し訳ない」と思う心情もあるようです。
それはもちろん尊重して、個人で宿などをとって避難される方は、それでいいと思います。
或いは、人と一緒に過ごせない人もいますので、最初から県民住宅に入れるルートが見つかれば、それはベターだと思います。
県内でも、様々な支援の動きがあります。
とにかくどのような形態でも避難して欲しいと思います。
きっと、それぞれの想いにマッチして、双方にとって、「良かった!」と思える出会いがあると信じています。
----
我々の想いは、被災地から「100キロ圏内」にいらっしゃる「妊婦さんや子育て中の家族さん」です。
当初は、「30キロ圏内」としていましたが、政府がその区域は「行政機能のエアポケットになり、避難住民に不安がある」と発表しました。
また、放射性物質の拡散記事を見ると、30キロは既に超えていて、いまいまは「100キロ圏内」が我々がサポートすべき範囲だと設定しなおしたからです。
現地では、見えない放射能への怖さはみなさんが持たれてるようです。
被災地にガソリンを届ける運転手が、それ以上は原発に近づけないから、遠い区域にタンクローリーを停めて「ここまで取りにきてくれ」といって、被災住民が別のドライバーをチャーターしてローリーを運ぶという出来事もありました。
そのような背景から、実情は飲み水も食べ物も毛布も届いてないそうで、被災者さんはその外側に移動をしているようです。
似た状況として、我々が支援している方から伺ったことですが、家が残ったからといって、家にいても、支援物資は来ないので、広い家があるのにしかたなく、食べもの確保のために、家を捨てて避難所で生活しているそうです。
水の配給は、「一人ポリタンク1個」と制限があるので、水をもらうために、本来はご病気で寝ているはずのオジイも借り出されて、みなが支えてオジイを自転車にまたがらせて、寒い中、4時間も、水の配給で並ぶそうです。
我々の関わっている被災者さんは言います。
「寒い中で物資で供給してくれるのは心からありがたい。でも、本当は、寒いところから離れなよ、と言って欲しい。」
でも離れたくても離れられない現地の論調やしがらみがある。
この本質を感じた我々には、一体何ができるのか、考えて考えて考えて、そして、動いてゆきたい。
----
本日、お母さんと娘さんが沖縄県に来ます。
昨日は、受け入れ先が決まり、足りなかった布団が即座に集まりました。
この県は素晴らしい!!!
ありがとうございます。
86年のチェルノブイリ原発事故の際、ウクライナの歌姫ナターシャ・グジーさんは6才で避難生活を体験されました。
ナターシャ・グジーさんから、福島第一原発の事故についてメッセージとお願いがYoutubeにアップされていたので転載します。
※きくちゆみさんのツイッターで知りました
https://twitter.com/kikuchiyumi
偶然にも、ホームステイの必要性を唱えてくれています。
被災者さんには、しばらくはゆっくりとや休養して、「ご自身にかわって食事を作ってくれる」温かいお世話をしてくれるホームステイが重要であろうと感じています。
その先、しばし時がたち、心の落ち着きを取り戻しはじめたら、「ご自身で食事を作るなど」の手を動かすことが進む力になると感じます。
その意味では、下記の(1)に相当する方が、一番ホームステイにマッチされると分かってきました。
====
(1)津波で家もお金もなく避難所生活の被災者さん
(2)被災地域だけど家とお金は何とか残った被災者さん
(3)被災地ではないが安全の為に、一旦住居を離れるファミリーの避難者さん
(4)被災地ではないが放射能が怖くて、もう住居に戻れない大人単独の避難者さん
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(4)に相当する方からの電話もあるのですが、我々が願った「子ども」ではないのと、まだ我々に受けきれる力がなく、一旦受けてしまうと我々がパンクするのは目にみえているので、仕方なく情報提供にとどまっています。
ですので、大人単独でもぬくもりが寄せ合えるコミュニティ(共同生活村)につなぎたいと願い、探しています。
(2)と(3)に相当する方は、お金があるなら、人のお世話になるのは「申し訳ない」と思う心情もあるようです。
それはもちろん尊重して、個人で宿などをとって避難される方は、それでいいと思います。
或いは、人と一緒に過ごせない人もいますので、最初から県民住宅に入れるルートが見つかれば、それはベターだと思います。
県内でも、様々な支援の動きがあります。
とにかくどのような形態でも避難して欲しいと思います。
きっと、それぞれの想いにマッチして、双方にとって、「良かった!」と思える出会いがあると信じています。
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我々の想いは、被災地から「100キロ圏内」にいらっしゃる「妊婦さんや子育て中の家族さん」です。
当初は、「30キロ圏内」としていましたが、政府がその区域は「行政機能のエアポケットになり、避難住民に不安がある」と発表しました。
また、放射性物質の拡散記事を見ると、30キロは既に超えていて、いまいまは「100キロ圏内」が我々がサポートすべき範囲だと設定しなおしたからです。
現地では、見えない放射能への怖さはみなさんが持たれてるようです。
被災地にガソリンを届ける運転手が、それ以上は原発に近づけないから、遠い区域にタンクローリーを停めて「ここまで取りにきてくれ」といって、被災住民が別のドライバーをチャーターしてローリーを運ぶという出来事もありました。
そのような背景から、実情は飲み水も食べ物も毛布も届いてないそうで、被災者さんはその外側に移動をしているようです。
似た状況として、我々が支援している方から伺ったことですが、家が残ったからといって、家にいても、支援物資は来ないので、広い家があるのにしかたなく、食べもの確保のために、家を捨てて避難所で生活しているそうです。
水の配給は、「一人ポリタンク1個」と制限があるので、水をもらうために、本来はご病気で寝ているはずのオジイも借り出されて、みなが支えてオジイを自転車にまたがらせて、寒い中、4時間も、水の配給で並ぶそうです。
我々の関わっている被災者さんは言います。
「寒い中で物資で供給してくれるのは心からありがたい。でも、本当は、寒いところから離れなよ、と言って欲しい。」
でも離れたくても離れられない現地の論調やしがらみがある。
この本質を感じた我々には、一体何ができるのか、考えて考えて考えて、そして、動いてゆきたい。
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本日、お母さんと娘さんが沖縄県に来ます。
昨日は、受け入れ先が決まり、足りなかった布団が即座に集まりました。
この県は素晴らしい!!!
ありがとうございます。
Posted by 一般社団法人「つなぐ光」 at 09:40│Comments(1)
│「つなぐ光」の活動情報
この記事へのコメント
カクジさん みなさま
有難うございます。
私のブログにもリンクさせていただきました。
有難うございます。
私のブログにもリンクさせていただきました。
Posted by 奈須加代子 at 2011年03月28日 10:27