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☆2011年03月18日、【滞在保養支援:第1次】開始。
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2011年04月12日
沖縄に避難されている方の様子をご報告
避難されている方のご協力を得て、ホームステイの様子を取材させていただきました。
被災地にいて迷われている方や、ボランティア、物資協力いただいてる方に少しでも参考になれば幸いです。
「つなぐ光」
Aさん(35歳)
10歳の子どもと避難中
<ホスト元>
Bさん(地元でbarに勤めている女性)
1LDKの部屋をルームシェア
友人からつなぐ光のことを知り、ブログを見て活動のことを知った。
海沿いのアパートの廊下に入ると、白檀のお香の香りがした。
玄関は開いていた。のれんの向こうには開放的な感じの部屋。
手作りのカウンターが設置してあり、そこに座っておしゃべりする2人の女性が見えた。
Aさんは沖縄に来るのは、3回目。旅行できたことがある程度だった。
震災後、東京に一時避難し、その後関西方面へ移動する。
その際、たまたま訪れた奈良駅前のオーガニック市で出会った人から避難受入れ体制が整いつつある事を知る。
再度戻った東京で、つなぐ光のことを知り、思い切ってつなぐ光に電話。すぐに航空券が手配され、その2日後に来沖を果たす。
子どもも女の子なので、ホームステイ先は女性だけの家庭を希望した。
受入れホストのBさんは、一人暮らしだが地元のbarに勤めていることもあり交友関係も広く、Aさんと世代も近いことから、事務局がすぐ紹介。
友人を沢山紹介してもらって暮らしている場所にすんなり入っていけたようだ。
二人は思考も近い事から、話もはずむという。
車はないので、用事があるときはBさんが車を出してくれる。
食事も用意してくれる。(平常心ではない中での自炊は非常に難しい)
地元で自然派雑貨店を営んでいたというAさんは、ホスト元Bさんや地元の人との交流の中でこの沖縄の地にすんなり入っていけた。
近所の人も声をかけてくれる。
地元を出る事に、疑問や反対を受けたこともあった。「なぜ行くのか?」という言葉を投げかけられたこともある。
しかし、両親は応援してくれた。
こんな時こそ一致団結しなければいけないということも分かる。
普段の生活を取り戻して、被災地に残る選択をすることもとても大切だと思う。
しかし、放射能という目に見えない恐怖に毎日変わる情報、何が正解か何を信じればいいのか分からなくなる。
そんな中で、暖かく、地震も少ない沖縄で段々と平常心を取り戻し今後の事を考えるという方法を選んだ。
そして後悔しないように、自分の心が選ぶほうへ。
Aさんは、4月11日から中期滞在施設にうつった。
ホストのBさんは言う
「沖縄の方言に、いちゃりばちょーでー(出会えばみな兄弟)という言葉がある通り、私は友達や知り合った人が家に遊びにくる時と同じようにもてなしているだけ。
つなぐ光が私達と避難の方をつなげてもらえれば周りにいる色んな人が協力し合って、何とかみんなで支えてくれるはず。あとは、任せて下さい」
私よりも年下のはずの彼女がとても頼もしく、誇らしく見えた。
なぜ沖縄なのか、なぜホームステイなのか、この団体に任せて大丈夫なのか、いろんな疑問があると思う。
しかし、最後は個人と個人の助け合いの気持ちが一番大きな力になる。その場を提供しているのが「つなぐ光」だ。
人と人が穏やかに出会い、助け合える場所として沖縄の地を選択するという手段もある。

文責 三浦藍子
被災地にいて迷われている方や、ボランティア、物資協力いただいてる方に少しでも参考になれば幸いです。
「つなぐ光」
Aさん(35歳)
10歳の子どもと避難中
<ホスト元>
Bさん(地元でbarに勤めている女性)
1LDKの部屋をルームシェア
友人からつなぐ光のことを知り、ブログを見て活動のことを知った。
海沿いのアパートの廊下に入ると、白檀のお香の香りがした。
玄関は開いていた。のれんの向こうには開放的な感じの部屋。
手作りのカウンターが設置してあり、そこに座っておしゃべりする2人の女性が見えた。
Aさんは沖縄に来るのは、3回目。旅行できたことがある程度だった。
震災後、東京に一時避難し、その後関西方面へ移動する。
その際、たまたま訪れた奈良駅前のオーガニック市で出会った人から避難受入れ体制が整いつつある事を知る。
再度戻った東京で、つなぐ光のことを知り、思い切ってつなぐ光に電話。すぐに航空券が手配され、その2日後に来沖を果たす。
子どもも女の子なので、ホームステイ先は女性だけの家庭を希望した。
受入れホストのBさんは、一人暮らしだが地元のbarに勤めていることもあり交友関係も広く、Aさんと世代も近いことから、事務局がすぐ紹介。
友人を沢山紹介してもらって暮らしている場所にすんなり入っていけたようだ。
二人は思考も近い事から、話もはずむという。
車はないので、用事があるときはBさんが車を出してくれる。
食事も用意してくれる。(平常心ではない中での自炊は非常に難しい)
地元で自然派雑貨店を営んでいたというAさんは、ホスト元Bさんや地元の人との交流の中でこの沖縄の地にすんなり入っていけた。
近所の人も声をかけてくれる。
地元を出る事に、疑問や反対を受けたこともあった。「なぜ行くのか?」という言葉を投げかけられたこともある。
しかし、両親は応援してくれた。
こんな時こそ一致団結しなければいけないということも分かる。
普段の生活を取り戻して、被災地に残る選択をすることもとても大切だと思う。
しかし、放射能という目に見えない恐怖に毎日変わる情報、何が正解か何を信じればいいのか分からなくなる。
そんな中で、暖かく、地震も少ない沖縄で段々と平常心を取り戻し今後の事を考えるという方法を選んだ。
そして後悔しないように、自分の心が選ぶほうへ。
Aさんは、4月11日から中期滞在施設にうつった。
ホストのBさんは言う
「沖縄の方言に、いちゃりばちょーでー(出会えばみな兄弟)という言葉がある通り、私は友達や知り合った人が家に遊びにくる時と同じようにもてなしているだけ。
つなぐ光が私達と避難の方をつなげてもらえれば周りにいる色んな人が協力し合って、何とかみんなで支えてくれるはず。あとは、任せて下さい」
私よりも年下のはずの彼女がとても頼もしく、誇らしく見えた。
なぜ沖縄なのか、なぜホームステイなのか、この団体に任せて大丈夫なのか、いろんな疑問があると思う。
しかし、最後は個人と個人の助け合いの気持ちが一番大きな力になる。その場を提供しているのが「つなぐ光」だ。
人と人が穏やかに出会い、助け合える場所として沖縄の地を選択するという手段もある。

文責 三浦藍子
Posted by 一般社団法人「つなぐ光」 at 19:02│Comments(0)
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